2021年12月22日朝刊Pacific Daily Newsより翻訳、抜粋、要約

 

Håfa adai! ウェスティン・リゾート・グアムの4階にある日本料理店「一心」では、長年多くの人々がビジネスランチや美味しいディナーを楽しんできた。快適な雰囲気、迅速で丁寧なサービス、そして質の高い料理と美しい盛り付けは多くの人を満足させ、創業者である飯塚 “トム “氏の感性は芸術的で本格的な日本料理を提供し続けた。

 

東京・築地市場から仕入れた選りすぐりの魚介類を使った寿司、刺身、エビ、タコ、イカの料理や前菜、マヒマヒのスモーク、スパイシーツナなど。さらに、チキンの照り焼き、アンガスビーフの鉄板焼き、ヤシガニやロブスターは丸ごと一匹を完璧に提供してくれる。飯塚氏は50年にわたり、妻のまさこさんとともに、グアムでその技を披露してきた。

 

グアム政府観光局(GVB)局長のギテレス氏は「今年のクリスマスイブに引退を控えた飯塚氏のキャリアの最後を称えることができることを大変嬉しく思っています。第36回グアム州議会は、彼の功績を讃える決議をする予定としています」と述べた。

 

1966年開業
飯塚氏は1966年、東京ヒルトンホテルでフードサービスのキャリアをスタート。1971年、ヒルトンのFBスーパーバイザーの職を得て、グアムへ。源氏レストランのマネージャー、ヒルトンの料飲部長を経て、1986年の春にタモンのフィエスタビラ(グアム銀行の向かい)に夫婦で「一心」レストランを開業した。

 

1993年夏、ロイヤルパームホテルに移転しましたが、その2週間後にマグニチュード8.1の大地震が発生、すべての営業が停止した。しかし、その半年後、飯塚夫妻はハイアットリージェンシーの向かいに「太助」レストランをオープンさせ、3年後にはウェスティン・リゾート・グアム内に「Issin」と「On The Rocks」を開業。「太助」レストランは2009年まで営業を続けた。

 

飯塚氏はメイク・ア・ウィッシュ基金、ジャパンクラブ・オブ・グアム、ピースリング・オブ・グアム、ジャパンフェスティバル、好祭会の役員を務めるなど地域社会の一員として活躍している。リタイア後は家族と4人のお孫さんのために、健康維持のためのジム通いをしながら過ごす予定だと述べている。


コロナ禍、それぞれが
人生を考えるきっかけに

 

飯塚さん、35年間お疲れ様でした。2日前に取り上げた「Feathers N’ Fins」閉店のニュース同様、グアムで長年に渡り第一線で活躍してきた人々の引退は感慨深いものがあります。同時にコロナ禍がリタイアの動機付けになってしまったのではと思うとますますコロナが憎たらしくなりますが、実際はそうでもないようです。

 

近年は常連さんが通いやすくなり、連日長年のご贔屓客に囲まれ幸せな時間を過ごせた飯塚氏は言います。年を重ねリタイヤのタイミングを考えていたところに訪れた環境の変化。支えて下さった皆さんに囲まれ惜しまれながら一線を退くベストなタイミングなのではと決断したのだとか。グアム在住邦人の大先輩として、いつも頼りにさせていただいた心の拠り所だったのかもしれません。長年のご苦労を讃え、第二の人生を満喫されることを陰ながら願っています。個人的にもそしてグアム在住者の誰にとっても、飯塚さんの「一心」レストランはいくつもの思い出がある場所でしょう。GUAMLOVERSの仲間でも先週「一心」レストランを訪れ、それぞれが家族や仲間と過ごした思い出を振り返りました。

 

1970年代、80年代は、まさにグアムの観光業のベースを作り右肩上がりで成長した時期、不便なことや困難もたくさんあったでしょうが、知恵を出し合い一大観光地として発展しました。この時代の人たちの努力があってこそ、グアムの今があるのですね。

 

 

 

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