2022年8月7日朝刊Pacific Daily Newsより抜粋、要約

 

大韓航空801便墜落事故の悲しみと記憶を共有するために、土曜日、ニミッツの丘の記念碑で記念式典が行われた。1997年8月6日の早朝に犠牲になった228人を弔うため、犠牲者の親族、第一応答者、政府関係者ら数十人が集まった。

 

「私たちの心は引き裂かれ、25年間、私たちは心の痛みとともに生活してきました。」と、遺族団体「大韓航空801便」のイ・チャンホ会長は悲嘆に暮れている様子だった。記念碑には、遺族、救急隊員、グアム知事室、第36回グアム議会、グアム司法当局、大韓航空、在ハガッニャ韓国領事館のキム・インク代表が花輪を捧げた。

 

「あのフライトでグアムに来ようとした人は皆、喜びと幸福に胸を膨らませ、家族との再会を祝おうとしていたにもかかわらず、このような災難に見舞われてしまいました」とグアム副知事は述べた。「この記念日は私にとって非常に感慨深いものです」と、事故で弟のクィ・ヨン・チョーさん(28歳)を亡くしたイナ・リーさんは語った。「私は40年間グアムに住んでおり、ここが私の第二の故郷だと感じています。彼の遺体を回収できなかったので、この追悼式は私たちにとって非常に重要です」とリー氏は述べた。

 

犠牲者のために
第36期グアム議会は、墜落事故から25周年を記念し、失われた命、生存者、犠牲者の家族を称える決議404号を発表した。その痛ましい記憶は、ニュージーランド出身のバリー・スモールさんのような生存者も感じています。彼は式典に出席できませんでしたが、手紙を送り、グアム知事室の広報担当者が読み上げた。

 

「墜落事故後は、私にとって辛く悲しい出来事でした。骨折や火傷の後遺症に加え、生存者としての罪悪感もありました。子供たちや両親、多くの人たちが亡くなったのに、自分は死ななかったことに罪悪感さえ覚えました」と、スモールさんは手紙の中で語っている。しかし、やがて物事を別の角度から見るようになり、どんな悲しい状況にも、目を凝らせば意義のあることもあると自分に言い聞かせるようになったという。自分が航空業界に悲劇を知らせ、安全上の問題に取り組んだことで、事故から四半世紀を経て、より安全な飛行が可能になったという安心感につながっている。

 

「助からなかった乗客のために、何かしなければと思ったんです。彼らの死を完全に無駄にしないために、私は彼らのために何かをしなければならないと思いました」と手紙の中で述べている。記念式典の模様は、知事のFacebookページで公開されている。

 


世界情勢が緊迫する今、
記念日が続く夏は
未来を考える機会に。

 

7月21日にはグアム解放記念日を迎え、昨日8月6日は広島で77回目の「原爆の日」を迎え、8月9日には長崎原爆の日の平和祈念式典が行われます。そして8月12日には日航機墜落事故から37年を迎え、8月15日には終戦記念日と感慨深い記念日が続きます。いずれの日も心の中で犠牲者を弔い過ごしていますが、生存者や関係者、遺族が高齢化するにつれ、その記憶も徐々に希薄になっていくのでしょう。

 

「人間は二度死ぬ」という言葉を聞いたことがあり、本当にそんな気がします。一度目はその肉体が生命を終えた時、二度目はその方のことを覚えている人が一人もいなくなった時、ということのようです。それぞれの日、なんら個人の過失なく不幸にも命を落とした人々に心を寄せて過ごしたいと思います。
そして、同じ悲劇を繰り返さないような取り組みを今一度考え直す機会になればと思います。日本は核戦力を備えたロシア、中国、北朝鮮に囲まれています。現在の世界情勢が緊迫し、独裁者の暴走を目の当たりにしている今、世界は大きな分岐点に立たされているのかもしれませんね。

 

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