2020年7月20日朝刊 Pacific Daily Newsより抜粋、要約

 

新型コロナウィルス(COVID-19)が続く中で、戦跡や記念碑での集まりが中止されているが、個人的に訪れることはできる。軍事基地にある戦跡や記念碑も、https://www.cnic.navy.mil/regions/jrm.htmlでフォームをダウンロードし申請すれば、歴史的建造物への訪問を手配することができる。

Island History:War Dog Memorialのビデオはこちら

 

スペイン広場
第二次世界大戦の概要を知りたい場合は、ハガニアから始めよう。 1941年12月8日、日本の戦闘機がグアムを爆撃し始め、多くの信者が大聖堂に集まった。 12月10日、日本軍の部隊が上陸、グアム島の警備隊はすぐに敗北し、海軍大佐ジョージJ.マクミリンは日本軍に降伏した。

 

「私は停戦を宣言した約20分後に、自分の応接室で捕らえられた」とマクミリンは書いている。 「私の部屋に入ってきた日本人将校は、上着とズボンを脱ぐことを要求し、プラザでは拳銃を手にした軍人に囲まれました。」

 

当時、グアム島の人口の多くがハガニアに住んでおり、日本人が上陸すると住民はグアム島の各地に移り住んだ。そこで彼らは日本軍の食料を育てるための農作業や肉体労働を強いられた。また、テニアン島に飛行場を建設するための作業員も集められたり、日本人のために洞窟を掘って防御壁を建設することを余儀なくされた住民もいる。

グアムの人々は、最初の爆弾が投下されてからアメリカ軍が戻ってくるまで956日間、日本統治下に置かれた。国立公園局によると、戦争中にグアムで1,170人の民間人と1,880人のアメリカ軍が殺害され、14,721人の民間人生存者がいた。

 

太平洋国立歴史公園での戦争
太平洋国立歴史公園は開放され、国立公園局のサイトで、地図と写真付きのガイドツアーにアクセスできる。太平洋国立歴史公園は海辺沿いの大きな公園で、76年前の1944年7月21日にアメリカ海軍が上陸した場所である。

 

戦跡ポイントを歩き回って、グアム解放50周年の1994年に建てられた記念碑を巡るのもいいでしょう。ガイドブックは、こちらからダウンロードできる。公園には案内標識や遺構があり当時を学ぶことに役立つ。

アサン湾展望台
ニミッツヒルに向かうルート6添いにアサン湾展望台がある。記念碑には、グアム防衛のために亡くなった人、グアム奪還で亡くなった人、犠牲になった一般市民、戦争の残虐行為に苦しんだ人の名前が記されている。

 

アガット
アガット湾にもアメリカ海軍が上陸した。戦争の名残は、海軍基地への道に沿ったアパカポイントとガアンポイントで見ることができる。沖合には侵略の残骸の一部が見られる。

 

7月21日のグアム解放記念日。1941年に日本の占領下に置かれたグアム島をアメリカ合衆国により再び取り戻した日が1944年7月21日。グアムにとっては7月4日のアメリカ独立記念日にも増して21日の解放記念日が大切な日です。奪還時、グアムは戦場へと化し3週間に及ぶ激戦の末、グアムは再びアメリカ統治下になります。そして1950年正式にアメリカ自治属領(準州)となるのです。

 

今年は新型コロナ禍での解放記念日。個別に戦跡を巡りグアムの歴史に触れるという過ごし方を考えてみてはいかがでしょうか?