2023年9月2日朝刊The Guam Daily Postより抜粋、要約

第二次世界大戦前、グアムで最も人口の多かったスマイ村の一部であったグアム海軍基地の初回歴史ツアーが、金曜日の午前中に開催された。ツアーでは、スマイ墓地、スマイ教会跡、パンアメリカン航空が初めてクリッパーで着陸した場所、戦争犬記念館、捕虜が作った古い階段などを見学。

 

住民たちは事前に必要な免責同意書に記入し、基地のすぐ外にあるT・ステル・ニューマン・ビジター・センターに集合した。グアムの戦いと第二次世界大戦の出来事を詳しく説明する簡単なビデオの後、彼らはバンに乗り込み、ゲートを通過して最初の目的地に向かった。

 

太平洋戦争国定歴史公園のガイドがツアーを進行。パークガイドのキナ・ルイス氏は、かつてアプラ港が水上飛行機のグアム到着のための着陸帯として機能していた歴史を詳しく説明した。ルイス氏は「これがグアムが世界とつながるきっかけとなりました。グアムの海を眺めながら、水上飛行機が着陸する様子を想像してみてください」と述べた。また、郵便の待ち時間を数ヶ月から数週間に短縮することもできた、とルイスは語った。

 

見学者は基地周辺のさまざまな場所も回った。基地関係者によると、9月はさらに多くのツアーが予定されているという。このツアーはジョイント・リージョン・マリアナスと太平洋戦争国立歴史公園とのパートナーシップによるもの。「文化的にも歴史的にも重要なこのような場所に、コミュニティがアクセスできることを広く知ってもらうことでもあります。ですから、私たちは、より多くの地域社会の人々がプログラムについて知り、それを利用できることを願っています」と言う。

 

このプログラムとパークサービスとの定期的なツアー以外にも、一般の人々が軍事施設内の名所を訪れることができることについての認識を高めることを望んでいる。「多くのツアーを予定しています。いくつかのツアーは事前に手配され、予定されています。しかし、地域住民や一般の方々に知っていただきたいのは、パブリック・アクセス・プログラムを通じてプライベートツアーを申し込むことができるということです。見学できる場所は35カ所以上あります」と。

 

今後、さらに多くのツアーが発表される予定だが、興味のある人は、オンラインで見学可能な施設の詳細を確認し、必要なフォームに記入し、Eメールでロペス氏とツアーの日程を調整することができる。

https://jrm.cnic.navy.mil/Operations-and-Management/Public-Access-Plan/

 


スマイを知れば、
歴史に翻弄されたグアムが見えてくる。

 

10以上前にこのようなツアーが観光客に向けても実施されていましたが、いつの間にかなくなりました。ミリタリー関係者以外は足を踏み入れることのできない基地内を巡れるツアーにぜひ参加されてはいかがでしょう?スマイはグアムの歴史を知るさまざまな史跡の宝庫、近代化や支配の歴史も垣間見ることができます。

 

スマイは古くから港を備え、情報拠点として栄えてきました。戦前のアメリカ統治時代にはパンアメリカン航空のチャイナ・クリッパーが当時アメリカの植民地であったフィリピンへの経由地としてグアムを往来。港には乗客を迎える洒落たテラスやラウンジ、飲食店が設けられ、上流階級の西洋文化の香りに包まれたと聞いた覚えがあります。

 

その後、太平洋戦争に突入、日本はスマイ地区を空爆し、グアム占領を進めます。日本軍が情報の拠点スマイを占拠し、その後映画館などの娯楽施設が次々と作られ、日本兵の憩いの場にもなったようです。

 

終戦時もまたスマイは一番の標的になり、日本の軍事施設はアメリカによって爆破されます。その重要性ゆえ、歴史が動くたびに標的になってきたのがスマイなのです。多くの施設が当時の原型を残してはいませんが、歴史の一片に触れることはできる貴重な場所へぜひ足を運んでください。

 

 

 

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